敷金は、賃貸借が終わって物件を明け渡したあと、未払いの賃料などを差し引いた残りが返ってくるお金です(民法622条の2第1項)。借主が負担する原状回復は、借主がつけた傷や汚れに限られ、通常の使用による損耗や経年変化は含まれません(民法621条)。国土交通省のガイドラインは、壁紙(クロス)なら6年で価値が1円になるとみて、経過年数に応じて借主の負担を減らす考え方を示しています。納得できない請求には、明細を求めて交渉し、60万円以下なら少額訴訟も使えます。
こんな場面で問題になります
- 退去立会いで、壁紙の全面張替えとハウスクリーニング代を請求され、敷金がほとんど戻らないと言われた。
- 入居から10年以上たつ部屋で、壁紙の日焼けや畳の変色まで借主負担とされた。
- 日本で賃貸住宅を借りている外国籍の社員が、退去時の請求額に納得できず会社に相談してきた。
- 会社が社宅として借りている部屋や、事務所として借りているフロアの退去費用を見直したい。
敷金とは何か――返還の時期と差し引けるもの
民法は、敷金を「いかなる名目によるかを問わず」、賃料などの借主の債務を担保するために借主が貸主に渡すお金と定めています(民法622条の2第1項)。「保証金」など別の名前でも、この目的で渡したお金は敷金として扱われます。
貸主は、次のときに、受け取った敷金から借主の債務の額を差し引いた残りを返さなければなりません(同項)。
- 賃貸借が終了し、かつ、物件の返還を受けたとき(1号)
- 借主が適法に賃借権を譲り渡したとき(2号)
ここから分かるとおり、敷金の返還は物件の明渡しが先です。「敷金を返してくれるまで鍵を返さない」という対応は、法律の順番とは逆になります。
差し引けるのは、未払いの賃料や、借主が負担すべき原状回復の費用など、賃貸借に基づいて生じた借主の金銭債務です。差し引いた結果、残りがあれば返還されます。
なお、借主の側から「未払いの家賃は敷金から引いておいてほしい」と求めることはできません(民法622条の2第2項)。敷金を債務に充てるかどうかは、貸主が決めることです。
原状回復の範囲――通常損耗と経年変化は借主負担ではない
借主は、物件を受け取った後に生じた損傷を、賃貸借の終了時に原状に戻す義務を負います(民法621条本文)。ただし、この「損傷」からは、次のものが除かれています。
- 通常の使用及び収益によって生じた損耗(通常損耗)
- 経年変化
また、損傷が借主の責めに帰することができない事由によるものであれば、借主は原状回復の義務を負いません(同条ただし書)。
つまり、原状回復は「入居したときの新品の状態に戻すこと」ではありません。普通に住んでいれば生じる汚れや傷み、時間がたてば生じる劣化は、借主の原状回復の対象から外れ、貸主の負担になります。
国土交通省ガイドラインの負担区分
国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」(平成23年8月)は、民間賃貸住宅の退去時のトラブルを防ぐために、貸主と借主の負担の考え方を示したものです。法律ではなく、貸主と借主があらかじめ理解しておくべき一般的なルールを示したものです。
ガイドラインが通常の使用による損耗として、貸主負担とする例には、次のものがあります。
- 畳の変色、フローリングの色落ち(日照や建物の構造上の欠陥による雨漏りなどで生じたもの)
- テレビ・冷蔵庫などの後部壁面の黒ずみ(いわゆる電気ヤケ)
- 壁に貼ったポスターや絵画の跡
- 壁の画鋲・ピンの穴(下地ボードの張替えが不要な程度のもの)
- クロスの変色(日照などの自然現象によるもの)
一方、借主の負担とされやすい例には、次のものがあります。
- タバコのヤニ・臭い(通常の使用による汚損を超えるものと判断される場合が多いとされています)
- 結露を放置したことで広がったカビ・シミ(貸主に知らせず、手入れも怠った場合)
- 台所の油汚れ(使用後の手入れが悪く、ススや油が付着している場合)
- 重い物をかけるためのくぎ穴・ネジ穴で、下地ボードの張替えが必要なもの
- 落書きなど故意による毀損
ポイントは、同じ「壁の穴」や「汚れ」でも、原因と程度で負担が分かれることです。請求書の項目ごとに、どちらに当たるのかを確かめる必要があります。
経過年数の考え方――壁紙は6年で残存価値1円
借主が傷をつけた場合でも、修繕費の全額を負担するとは限りません。ガイドラインは、設備などの経過年数を考慮し、年数が多いほど借主の負担割合を減らす考え方をとっています。
壁紙(クロス)については、6年で残存価値が1円となるような直線(または曲線)を想定して負担割合を算定するとしています。たとえば、入居から6年以上たった部屋の壁紙を借主が汚した場合でも、壁紙そのものの価値はほぼ残っていないことになります。
ガイドラインは、平成19年の税制改正で減価償却資産の残存価値が廃止されたことを踏まえ、再改訂で残存価値を10%から1円に変更しています。設備の耐用年数の例として、エアコンなどの冷暖房機器や電気冷蔵庫は6年、流し台は5年、便器・洗面台などの給排水・衛生設備は15年が挙げられています。
ただし、ガイドラインは、経過年数を超えた設備であっても、借主は善良な管理者としての注意を払って使う義務を負っており、修繕などの負担が必要になることがあり得るとも書いています。「古いから何をしてもよい」わけではありません。
また、張替えの範囲について、ガイドラインは壁紙は㎡単位が望ましいとしつつ、借主が毀損させた箇所を含む一面分までは張替え費用を借主負担としてもやむをえないとしています。一部屋全体の張替えを当然に請求できるわけではありません。
特約がある場合――クリーニング特約など
賃貸借契約に「退去時のクリーニング費用は借主負担」などの特約が入っていることがあります。ガイドラインのQ&Aは、クリーニング特約の有効・無効は、次の点から判断されるとしています。
- 借主が負担すべき内容・範囲が示されているか
- 本来は借主の負担にならない通常損耗分も負担させるという趣旨と、その具体的な範囲が明記されているか、または口頭で説明されているか
- 費用として妥当か
個人が住まいとして事業者(不動産会社など)から借りている場合は、消費者契約法も問題になります(同法2条3項)。法律の任意規定に比べて消費者の権利を制限し、または義務を重くする条項で、信義則に反して消費者の利益を一方的に害するものは無効です(消費者契約法10条)。
ただし、会社が事務所や店舗として借りる場合、会社は「消費者」に当たらないため、消費者契約法は適用されません(同法2条1項・2項)。また、ガイドラインも民間賃貸住宅を想定したものです。事業用の物件では、契約書の原状回復条項の内容がより重要になります。
納得できない請求を受けたときの進め方
まず、請求の明細を求めます。ガイドラインのQ&Aは、貸主には敷金から差し引く原状回復費用について説明義務があり、借主は明細を請求して説明を求めることができるとしています。
明細が届いたら、項目ごとに、通常損耗・経年変化に当たらないか、経過年数が考慮されているか、張替えの範囲が広すぎないかを確認します。入居時と退去時の写真や、入居時に作った傷の記録があれば、根拠として使えます。
話合いで解決しない場合、請求する金額が60万円以下なら、簡易裁判所の少額訴訟を利用できます(民事訴訟法368条1項)。少額の金銭トラブルを少ない費用で迅速に解決するための手続です。同じ簡易裁判所で同じ年に利用できる回数には上限があります(同項ただし書)。
敷金の返還を求める権利は、権利を行使できることを知った時から5年、行使できる時から10年で時効によって消滅します(民法166条1項)。退去後に放置せず、早めに動くことが大切です。
今すぐできること
- 賃貸借契約書と重要事項説明書を開き、原状回復や敷引・クリーニングの特約がどう書かれているか確認する。
- 入居時の物件の状態を、日付の分かる写真で記録しておく(すでに入居中なら、今の状態を記録する)。
- 退去立会いでは、その場で費用の負担に同意する書面に署名せず、明細をもらってから判断する。
- 請求の明細を、ガイドラインの負担区分と経過年数の考え方に照らして項目ごとに見直す。
- 社宅や事務所を借りている会社は、物件ごとに契約の原状回復条項と敷金・保証金の額を一覧にしておく。
弁護士に相談すべきタイミング
- 敷金の大半または全額を差し引かれ、明細を求めても説明がない。
- 敷金を超える原状回復費用を追加で請求された。
- 事務所・店舗の退去で、原状回復工事の範囲や業者の指定をめぐって貸主と意見が合わない。
- 外国籍の社員の退去トラブルについて、会社として対応方針を決めたい。
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- ・オンライン(Zoom等)・来所(東京・大手町)どちらも可
- ・日本語・英語のどちらでもご相談いただけます
よくあるご質問
Q. 敷金はいつ返してもらえますか? 賃貸借が終了し、物件を明け渡したときに返還の義務が生じます(民法622条の2第1項1号)。明渡しが先で、敷金の返還はその後です。契約書に返還時期の定めがあれば、その内容も確認してください。
Q. 入居から8年たちました。壁紙の張替え費用を全額払う必要がありますか? ガイドラインの考え方では、壁紙は6年で残存価値1円とみるため、壁紙そのものの価値はほとんど残っていません。ただし、ガイドラインは、経過年数を超えた設備でも、借主が故意・過失で破損させた場合(例:故意の落書き)は、本来の機能に戻すための工事費や人件費などを借主が負担することがあるとしています。
Q. ハウスクリーニング代は払わなければいけませんか? 通常の清掃をして退去していれば、本来は貸主の負担と考えられています。契約にクリーニング特約がある場合は、借主が負担する内容・範囲が示されているか、通常損耗分も負担させる趣旨とその範囲が明記されているか口頭で説明されているか、金額が妥当かで有効性が判断されます。
Q. 外国籍でも日本の敷金のルールは同じですか? 日本にある物件を日本の契約書で借りている場合、借主の国籍によって敷金や原状回復のルールが変わることはなく、通常は民法とこの記事で紹介したガイドラインの考え方が前提になります。契約書の内容が分からないまま署名しないことが大切です。当事務所は英語でのご相談にも対応しています。

